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    • 2019.06.21 Friday
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    心と心のマッチング No.3

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      JUGEMテーマ:仕事とは

       

      コンセンサスが人と人の原点

       

       家業を受け継いで41年、私はその中で30年以上を障がい者と共に歩んできました。私の思いが社内に行き渡っていくにつれ、健常者の従業員たちも障がい者との付き合い方を考え努力してくれたことを忘れることはできません。いま残っている健常者の従業員たちは、障がい者と如何に付き合い、如何に協調・協同作業をするかを日々業務上の課題として取り組んできた社員です。この中には恐らく、障がい者に対する偏見を持っていた者もいたことでしょう。しかし社員の5割以上が障がい者であるため、受容し協調しなければ業務が進行しません。障がい者観を共働者と改めない限り、当社で勤務を続けることは困難なのです。

       このことは何も障がい者優先の労働体系を意味しているものではありません。あくまでも障がい者と健常者は従業員として同等です。職階上の上下関係はありますが、同僚という水平な立場で働くときは、対等な共同作業です。ただし、どこの職場でも、先輩が後輩を先導したり、あるいは年長者が年少者をアシストしたり、肉体労働では体力がより残っている者が、体力が消耗気味の者との間で、その場面に限り主と従の関係で業務を遂行することも普通に見られる現象です。現場では様々な事例が詰まっており、これこそ障がい者と健常者間の連携、あるいは全従業員の連携の実体です。固定のマニュアルは作るにしても体感、体得した上で実務に対処していくほかないケースも多々あります。コンセンサス(意識の共有)の無いところには、力は生まれないと言います。まさに日常の現場で、行き違いや思い違いを相互に是正しつつ、頭だけでなく身体を通してのコンセンサスを培っていくことが重要になります。皆がコンセンサスをもって集っている職場には、活気や笑顔や明るさが伴っているものです。これがフジ化学の強みでもあります。それが就労支援センターNESTにも引き継がれています。

       

      代表取締役社長 遠藤 一秀

       


      心と心もマッチング No.2

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        JUGEMテーマ:仕事とは

         

        障がい者への先入観と固定観念のクビキとは無縁なスタート

         

         家業を起こした先代(祖父)はもともと教育畑一筋で、中学校の校長を定年退職した後、メッキ屋をはじめた人です。また祖母は民生委員を兼ねながら聾学校に勤務し、日常的に障がい者と接している人でした。ですから私の場合も他の子どもに比べれば障がい者に関する違和感は少なく、父が早世したため昭和49年に会社を引き継ぎましたが、障がい者雇用に伴うたじろぎはあまりありませんでした。それでもいざ自分が責任者となって障がい者を会社に迎え入れるとなると、抵抗感は少ないといっても、工場現場での労働環境整備や作業手順の反復指導等から種々の社会的手続きまで、予想をはるかに超える繁雑な日常が待っていました。それ以来30年を超える年数、こうした様々な試行錯誤の繰り返しの中で、障がい者雇用にかかる研究と実践を通してのノウハウの整備と現場環境の改善を行ってきました。

        障がい者雇用を会社の事業運営に定着させることに追われる日々でしたが、お蔭様にて県障害者雇用促進協会やハローワークをはじめとする関係機関、また障がい者の家族や地域の方々、さらには取引先や協力企業の温かいご理解・ご助力を得て、ようやく落ち着いて人様にも語れる段階に辿りついた感があります。振り返れば、容易にお伝えできない労苦の連続でしたが、この間も人は皆同質ではないが、同等であるべきという信念は揺らいだことがありません。私は幸せにも、障がい者に対する偏見や先入観にさほど拘泥(こうでい)されない育ち方をしたことで、今日があると思っています。

         

        ※クビキ(軛) …「自由を束縛するもの」という意味。

         

        代表取締役社長 遠藤 一秀


        心と心のマッチング No.1

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          JUGEMテーマ:仕事とは

          はじめに

           私は、昭和49年に先代から家業である鍍金( めっき ) 工場を、富士市天間にて引き継ぎました。はじめは払下げを受けた廃校校舎が社屋でした。その後、昭和62年に、オートメーション化に合わせ、同じ富士市天間にて工場新築、さらに平成15年に、現在の本社工場を富士宮市小泉に新設し、天間工場を終了し今日に至っております。

           この間、経済社会変動の目まぐるしさは、現在中高年の方なら否応なくご記憶のことと存じます。昭和48年の第一次オイルショック、同じく昭和54年の第二次オイルショック、平成3年のバブル崩壊、その後の眠れる十年が尾を引いてのいわば眠れる二十年と、多くの企業と同様、当社の経営も幾度となく景気の荒波にさらされて来ました。古くからの社員とともに、よく会社を持ちこたえてきたものと一種感慨を覚えます。

           我が国はGDP世界3位でありながら、公的財政は火の車という理由も庶民には分かりづらいものがあります。過度の国債依存は後世に恨みを残すだけとか、アベノミックスと言われますが消費税を大幅増税するか、デフレを脱却して景気が回復しないかぎり赤字が解消するほどの税収は見込めないなど、様々なことが論じられていますが、日本全体としては赤字大国ではないわけですから、システムの不具合を改変することでこの苦境から脱する道があるのではないかと、素朴に思うこともあります。同じように、(ヒトに資源という言葉を当てるのを嫌う向きもあるようですが) 人的資源に関してもシステムが機能していないゆえの不具合が多々見られます。例えば、かつてのようなサービス残業は減ってきているとは云え、超過勤務による過労死が相変わらず後を絶たないようです。一方巷には、就職を希望しながら、職に就けていない失業者が大勢います。カネの世界だけでなく、ヒトの世界も深刻なミスマッチがあるわけです。

           些か視点を変えてヒトのことに関して申しますと、障がい者と健常者という区分けも通常なされます。当社ではここ数年、全従業員のうちに占める障がい者の割合が概ね七割→五割で推移してきていますが、それぞれが得意分野を生かす一方、お互い少々不得手な分野に関してはできるかぎり補い合うように努め、工場の運営も各業務の遂行も全員体制で進めています。もちろん簡単に現状に到達したわけではなく、当社業務に固有の特性を踏まえた上で人的資源の募集採用から配置の組合せまで、折々のように調整を繰り返しながら、定着させた体制であります。このように全員参加の体制が実務の上で築けたからこそ、モチベーションの維持にもつながっていますし、当社特有の仲間意識や連帯感も生まれてきたものと思っています。

           厚顔にも自社の例を引いてしまいましたが、社会人としての充足感は、何と言っても、頼りにされることで意欲が湧く仕事に従事することではないでしょうか。勉強嫌いな子は珍しくなくても、働くことが嫌いな子は余りいないと、よく言われます。会社のルールの中で、自分の能力や努力の成果を認められて、お金や満足(達成感)の機会を得ることができれば、明日への生きていく力に結びつきます。繰り返しのようになりますが、仕事をしたという手応えを感じながら報酬も受けるというのが社会人として何よりの喜びになると思います。

           フジ化学は、お蔭様で今年で創立50年を迎えることができました。昭和から平成にかけて30年あまり、障がい者を雇用し、障がい者とともに働くことで経験した様々な事例の集約として辿り着いた、私なりの障がい者雇用における、物心両面にわたる考え方のツボを僭越ながら、このブログで発信させていただきます。何かしら参考になれば幸いです。読みづらいところや勘違い等もあると思いますが、その点は甘んじてご指摘を受けます。  

           

          代表取締役社長  遠藤  一秀


          【習い性と成る】に向かう

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            JUGEMテーマ:仕事とは

            就労支援センターNESTには利用者さんの携わる作業がたくさん有ります。紙バンドの角を決められた角度(45度)に、従いハサミ・ニッパ等でカットする作業。ステーキハウスでプレートの油がはじかないための保護用の紙製品の折りと貼る作業。ボルトやナットの形状や傷など無いかを検品する作業。金具にゴムパッキンをはめる作業。プラスチックのバリ取り作業。様々な製品の組み立て作業。これらが施設内で実施される主な作業です。これ以外にも4つの企業に施設外支援や施設外就労として、支援員と一緒にユニットを組んで作業に出かけています。また、農業部門では農薬や化学肥料を使わない野菜の栽培を実施しています。付加価値を高める取り組みで収穫した人参は工場に出荷しジュースにし、ラベル貼りや箱折り作業を経て自主製品として販売しています。昨年の授産製品コンクールで県知事賞をいただいたとの事で、飲んでみて、とても美味しかったです。

            何故NESTでは、数多くの作業が用意されているのか。それは障がい者の多くが、子供の頃より経験や体験を積む機会が圧倒的に少なく、興味や意欲を抱く事が狭い範囲になっている傾向にあると教えていただき納得しました。様々な作業を体験し、自分はどのような仕事に就きたいか。どうすれば品質や生産性を高められるのか。工賃や給料を上げるためにはどうすれば良いのか。就労支援の奥深さを感じました。

             

            私はプラスチックのバリ取り作業の指導担当が多いですが、利用者さんは沢山仕上げたい。早く仕上げたい気持ちが強く、部材を器から溢れるほどに入れ製品を落下させてしまうことが何度かありました。利用者さんの中には落下をしてしまった!ことが変化点となり強い動揺を引き起こす人もいて、順調な作業ペースがそこで止まってしまいます。ここで“習うより慣れよ”です。落下する原因を毎かを教え伝えはしますが、自らの身体でコツを覚える事が大切です。また荒々しくバケツに入れると跳ね返り、落下する場合もあります。「優しく入れましょう」と伝え、次もまた「優しく入れましょう」と伝えます。気がつくとその利用者さんは優しく入れる事ができているのです。

            『習い性と成る』(身についた習慣は、最後には生まれ持った性質と同じものになるということ)『習うより慣れよ』(物事は知識として覚えるよりも何度も繰り返して覚えたほうが身につくということ)

             

            昨日と比較した今日に成長は見つけにくいと思いますが、1か月後には半年後には大きくはっきりと成長した様子を見ることができるはずです。その力になる支援員も更なる力量アップ、そして日々のスキルアップを目指します。

             

            職業指導員 戸梶幸美

             


            ギャップ『障がい者を取り巻く社会』 最終章

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              JUGEMテーマ:仕事とは

               

              障がい者にとって、分離教育が一生の中で常態化すれば、人生が限られたものになってしまう恐れがあります。このことは障がい者から分離されている健常者に対しても同じことが言えます。憲法第十四条は「機会の均等」をうたっていますが、分離されている障がい者と健常者の間に、これを持ち出したら大げさでしょうか。一部の障がい者と健常者を除けば、今のままでは、お互いほとんど見知ることなく、それぞれの人生を終えていくことになりかねません。私には、これがいいことだとは思えないのです。障がい者がいない家庭だから、あまり関係ない、たまに募金等で協力しておけばいいだろうと思っている人がいたら、それは間違いです。 

               

              あえて統計数値を持ち出さなくても、お分かりいただけると思いますが、もしかしたら、あなたが障がい者になっていたとしても何ら不思議はないのです。あなたも社会の一員なら、障がい者も社会の一員です。それぞれが共生していくのは、社会的な義務なのです。人間は社会的動物であると、よく言われます。言うまでもなく、人の関係性が集積されたものが社会です。関係性を失くしたら、人ではなくなります。早くから引きこもって、パソコンにばかり向かっていたら、社会的な廃人になりかねません。以上は個人の見解ですが、これを社会に拡大したとしたら、健常者のかなりの部分が障がい者との関係性がないという社会は、不自然と言うほかありません。

              障がい者雇用に関わってきた身として、私にとって、どうやったら周囲の健常者に対して、より的確に障がい者の問題を伝えることができるかは、長らく課題でした。今後もこの課題は続きますが、ここへ更に障がい者と健常者の関係性を地域でいかに広く構築するかが加わった思いでいる昨今です。このことに一歩を踏み出すことで、地域社会の構成員間において、障がい者をめぐるギャップが少しでも解消していけばと願っています。


              ギャップ『障がい者を取り巻く社会』 No.4

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                JUGEMテーマ:仕事とは

                 

                私の周囲や知り合いには、熱心に障がい者問題に取り組んでいる人たちがいて、その中には障がい者問題に無知な一般人に対しては啓蒙が必要だと、怒りを込めて語る人もいます。高校が義務教育化同然となってからかなり経ち、4割の若者が大学進学する時代ですが、その人たちが成人となった後、かなりの割合で障がい者に関し無知のままでいることに、一種の危機感を覚えるのは私だけではないと思います。なにゆえに無知がはびこったままなのでしょうか。「去る者は日々に疎(うと)し」ということわざがありますが、視界から消えていったものは、脳の中の記憶はやがて消えていくということを端的に言い表しています。これが、はじめから視界になかったとしたら、どうでしょうか。記憶をつかさどるところに残らないどころか、そもそも認識する糸口すらありません。

                 

                幼児期から、障がいを持った子とほとんど身近に接することなく大学まで進むことさえ可能な時代です。障がいを持った子のためにと分離教育が始められ、いまではそれが全く普通となっていますが、私より上の世代では、障がい児を含めた通常学級が普通でした。通常学級といえば何やら聞こえがいいですが、要するに今のような分離教育を実施するには、制度的にも財政的にも、いわゆる教育界の条件整備ができていなかった時代ということです。

                でも、それで良かったという声も、その世代の方々から聞くことがあります。同じ学級に在籍していたのですから、障がいを持った子たちが身近な存在であったわけです。見えないところで障がいを持った子をいじめていた例もあったでしょうが、学級の中の気のきいた、とくに女子の何名かが障がいを持った子を守ってあげたり世話を焼いたりで、教師が特別な指導をしなくても、おおむね学級はうまくいっていたと聞きます。それが今では、通常学級に自閉症の子などがいた場合、大変な状況になることがあると聞くときがあります。担任教師がいくら一人で頑張っても、障がい児の特性と発達状況に応じた指導、まわりの子どもたちへの学習指導とを両立させることは、並大抵のことではないようです。最悪の場合は、両者に対して、学習面のフォローが行き届かないこともありえます。もちろん両者で学習課題の一部を共有できる場合もあるでしょうが、かつての通常学級のようにはいかないようです。もはや分離教育を進めていくしかない時代なのでしょう。障害の特性と発達のレベルに合わせ、専門的な知識をもった教師が、その子に特化した指導を行う。分離教育の有効性は論ずるまでもないでしょう。

                 

                分離を、隔離とはとらえず、分離することで障がい児をさらし者のようにすることなく、その特性に合った環境で教育することで個性を大切に成長できる意義を再確認したいと思います。そうでなければ、特別支援学校のために、児童生徒一人当たり (都道府県によって) 800万円〜900万円を費やす、今の分離教育の投資効果を疑うことになります。ここで私は、分離教育を批判するつもりはありません。ただ、できれば障がい児が通常学級の子と触れ合う機会がもう少し増えればとは思います。

                 

                代表取締役社長 遠藤 一秀


                ギャップ『障がい者を取り巻く社会』 No.3

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                  JUGEMテーマ:仕事とは

                   

                  障がい者の雇用をめぐる認識の差は、一体どこからやってくるのでしょうか。特性を生かし各分野で働いている障がい者も増えてはきましたが、ただし、その輪の広がるスピードは必ずしもはかばかしくありません。なかなか輪が広がっていかないのは、景気の問題等も関係しているでしょうが、やはり社会に根強く残っているこの無理解が原因していることは間違いないと思います。障がい者に傾聴し、障がい者のため、あるいは少なくとも障がい者の側に立って仕事や社会活動に従事している人と、他方、障がい者とほとんど関係しないところで働くか、あるいは障がい者のことを理解する機会もその気もなく過ごしている人との間には、深い溝が横たわっているのが現状です。

                   

                  知性も教養もある人が、障がい者に関わる分野で働いたり活動したりしたことが無いばかりに、障がい者福祉、とくに障がい者の就労問題に関して驚くほどの無知をさらけ出すことがあります。私が主としてかかわってきたのは知的障がい者であり、その点では私の知識の範囲も限られています。たとえばマスメディア関係の方から「東大出のホームレスもいる時代に、何故そんなに障がい者の就労問題に入れ込んでいるのか?」と問われたこともあります。修行を積んだお寺の住職と話していて「あなたのやっていることは正しく必要なことだと思うが、障がい者の場合、何が何でも働くということではなく、他に目的を持ち活動する事でも良いのではないか?」と問いかけられたこともあります。これらの方々は、もちろん一般論としての障がい者問題はよくご存知です。私の下手な伝え方もあるのでしょうが、四半世紀、障がい者の就労問題と取り組んできた私の歯がゆさ、もどかしさは容易に伝わりません。知的障がい者の大半の子は働くことができる子たちです、ただし、働く機会に恵まれず、素質の開花もできないまま、年とともに能力が低下していくケースが少なくありません。一方、医師や教師から、この子が成長できるのは20歳ぐらいまでと言われたが、働く場に巡り会えたおかげで、30歳の今でも着実にに成長していることを感じると、語ってくれる母親もいます。私の歯がゆさは、これらのことを単に頭の中だけではなく、知的障がい者が実際に就労している場を通して知り得たにもかかわらず、周囲に上手く伝えられないということです。

                  どんな優秀な人でも、個人として経験できることや見聞できることは限られています。それぞれに主たる経験の領域があるということです。私の知的障がい者とのかかわりも、人が経験できる莫大な領域の内のほんのケシ粒ほどのものに過ぎませんが、私にとっては主たるものであり、そこから導き出された考え方にはそれなりの自負を持っています。しかし、立派な見識を持った方と話していても、自分が経験の中で実証的に得たと思っていることでさえ、簡単には理解してもらえないときが多々あります。これも私にとってはギャップの一つと言うべきでしょうか。

                   

                  他方、全面的ではなくても障がい者と共同作業をした経験や、共に生活した経験を持っている人なら、障がい者に対して好意的か否かは別として、全くの無知ということはないと思いたいものです。はじめから理解しようという気もないまま、障がい者と関係する環境や立場に置かれたから、やむを得ずルーティン業務をこなしていたという人には失礼ながら、障がい者福祉に関する思いは無いのかも知れません。

                   

                  代表取締役社長 遠藤 一秀

                   


                  ギャップ『障がい者を取り巻く社会』 No.2

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                    JUGEMテーマ:仕事とは

                    「障害者の雇用の促進等に関する法律」により、企業や官公庁には障がい者の法定雇用率が定められていますが、この率とは別に、障がい者を積極的に雇用している会社に対しては、その雇用の動機に関し、よろしくない見方をしている人も、まだまだ少なくありません。その見方の多くは、障がい者を低賃金で雇って人件費のコストダウンにつなげているとか、障がい者の雇用に伴い受けることのできる補助金・助成金等が目的ではないかといったものです。(現実に補助金や助成金は活用させていただく部分は一部は有りますが、それは末永く障がい者を雇用するため、就労定着させるという目的が有る事は理解されず、新たなギャップの発生となっています) 障がい者と健常者が共に働くことの意義や、障がい者を受け入れるために必要となる労働環境の整備や人員体制の見直し、社員の教育等に関する視点が大切な事になります。しかし世間一般では、まるで障がい者を雇いさえすれば、補助金や助成金がもらえ、賃金の除外申請をし、低賃金で雇用できるメリットがあると言わんばかりの無理解です。助成金が交付されるのは、その事業所が障がい者を雇用し続ける上で必要と認定された時だけです。当社は障がい者社員の大半が知的障がい者ですが、もともと知的に障がいを持つ者は重度障がい者に区分され、さらにその中で重度知的障がいという区分けがされています。当社は重度知的障がい者が過半数を占めていますが、このことがコスト競争力の上で有利に働くことはありません。過去に一部の障がい者社員について最低賃金法適用除外申請をしていた時期もありますが、事前にコスト判断した結果ではなく、障がい者によっては生産量が最低賃金に達せず、時間をかけて技術や知識を高める必要がありました。外部の人からは容易に理解してもらえない部分ですが、今では最低賃金以上で全員が働けるように成長しました。

                    内輪の話までさらしたくはありませんが、この無理解に満ちた見方を、自分にとって最も身近な存在である親族や幼なじみの一部からされた時には、口惜しさで一杯になりました。もし障がい者の雇用が利益に結びつくと思っている人がいたら、また何らかの形で搾取(さくしゅ)出来るうま味があると思っている人がいたら、逆に、ではなぜ障がい者の就職率が伸び悩み、離職率が増えているのかを質問したいくらいです

                     

                    代表取締役社長 遠藤 一秀


                    ギャップ『障がい者を取り巻く社会』 No.1

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                      JUGEMテーマ:仕事とは

                       

                      ギャップ…この言葉は、社会一般でも、個人的にもよく使われていて、日常語のようになっています。たとえば、前者の例では、「世代間ギャップ」というのを度々耳にしますし、後者の例では、「仕事をするうえで、私と彼との間に大きなギャップが存在する」といった言い方をします。辞書をひらくと、ギャップとは、溝、すき間、割れ目、大きなずれ、間隔、食い違いなどと書いてあります。たしかに私たちは、ふだん何気なくギャップという言葉を使っていますが、大体は、溝、すき間、食い違いなどと言ってもよいときに、ギャップで済ましているようなところがあります。私の場合、人との間に温度差を感じるときに、ギャップがあるという言い方になることもあります。

                       

                      さて、ここではギャップを分析することが目的ではありません。「世代間ギャップ」一つとっても、分析したらキリがないような気がします。下の世代→上の世代に対してよりも、上の世代→下の世代、つまり年配者が若者と接していて感じる溝を指すことが多い言葉です。しかし日常よく使われているにしては、その実態をあらためて考える機会があまりない言葉の一つに思われます。年配者もかつては若者でした。一度通ってきた道だからどこかで通じるところがあると、年配者は思いがちですが変化の激しい時代です、現代の若者はかつての若者とは大きく異なる世相や文化のもとで育ったうえに、年配者と違い過去の時代を知りません。年配者が、若者に理解できない部分を感じるのは、ある意味、当然のことです。年配者は、理解し合えるはずと始めから思い込まない方が良いかも知れません。年配者の中にも自分たちのことを化石人類と呼ぶ人もいるぐらいです。若者を違う人種と思ったうえで接するほうが、理解する努力への抵抗感が少ないのではないでしょうか。(「いまの若者は」というため息は古代エジプトのパピルス文書にも記されていたそうです)

                      分析が目的ではないと言いながら、つい「世代間ギャップ」にこだわってしまいましたが、取り上げたいのは、「世代間ギャップ」と同様に難しい、むしろ更に難問とも言える、「障がい者を取り巻く社会的ギャップ」、とくに「障がい者雇用に関するギャップ」についてです。私は、四半世紀にわたり障がい者を自社で雇用してきました。多いときで全社員の7割を障がい者が占めていた時期もありました。最近ではスタッフ全体が増えたため障がい者は5割といった雇用率になっています。障がい者雇用にいまなお付きまとう無理解、偏見について『ギャップ』で取り上げたいと思います。

                       

                      就労支援センター NEST

                      代表取締役社長 遠藤 一秀


                      「一人が皆のために、皆が一人のために」

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                        JUGEMテーマ:仕事とは

                        私は、入社し2か月が過ぎました。社長や諸先輩方に支えていただき、失敗しながらも日々頑張って仕事をしております。業務の中心は(株)エコネコルにてリサイクル部門の施設外就労に利用者さんと共に働いております。一緒に作業をする利用者さんは、将来企業に就職することを目標に頑張っています。利用者の皆さんの仕事ぶりは真面目で集中して取り組んでいますが、自分の仕事に集中し過ぎるあまり、周りの人のことまで考えて仕事をしていることが少なく感じます。例えば、ある機械で材料を揺らしてベルトコンベアーに落とし、その材料の中からアルミ以外の物を取り除く作業があります。その機械の操作をする利用者さんは、材料からアルミ以外を取り除く作業も同時に行いますが、取り除く作業に集中してしまい、他の利用者さんが取り切れていないのに作業を進めようとする事が度々あり、全体を見渡してから次の作業に移るよう訓練中です。また自分が取り除く範囲を自分で決めてしまい、取りきれなくて困っている人を手伝う意識が育っていない方もいます。

                        社長の研修の中で「一人が皆のために、皆が一人のために行動している。」という言葉を教えていただきました。この言葉は、日本体育大学の年度発表会の集団行動を指導されている指導者の方の言葉だそうです。私もこの集団行動をテレビで観たことがありますが、大勢の学生さんが後ろ向きや交差する場面の行進があり、一歩間違えると大けがに繋がるそうです。学生さんたちは一糸乱れる動作で行進をしていてすばらしいものでした。また、ラグビーにおいても、ONE FОR ALL ALL FОR ОNEという同様の意味の言葉があります。昨年のワールドカップにおいて南アフリカから歴史的勝利が生まれました。集団で行うことは皆が一つになって助け合わなければ大きな力は生まれません。仕事においても同様で個々だけが頑張っても、お互いが助け合って行わなければ大きな力にならずに生産効率が下がり業績も良くならないと思います。個々の能力の高さも大事ですが、お互い連携できる人材育成が必要だと強く思います。就業訓練を通し、この力を付ける事で、一般の企業に就職できる道が開かれていくとことでしょう。そのためには、まずは自分が仕事のプロになり、指導者として利用者さんの就労状況の観察と、適切な評価と技術や知識を伝える力が大事になってきます。日々勉強し努力しなければと強く感じています。

                        最後になりますが、袋の中の物を箱の中に移動する作業中に20代の利用者さんが、持ち方が良くなく袋が破れ、中の物が床に落ちてしまいました。40代の利用者さんがそれを見つけ、すぐに一緒に拾うシーンがありました。20代の利用者さんには、正しい袋の持ち方を指導し、40代の利用者さんには共に作業する者とし、何も言わずに応援できた点を評価しました。

                         

                        お互いに助け合う気持ちが少しずつ芽生えていることが、とても嬉しく思った出来事でした。

                         

                        作業指導員 杉山 直之


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