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    • 2019.06.21 Friday
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    「いいのだよ、そんなこと気にしないで」

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      JUGEMテーマ:軽度発達障害児
       障害者就労支援施設に勤務していると、人となりとは何なのかと思うことが度々ある。
      40年以上官民で仕事をさせていただき、いろんな人物と出会ってきたが、ある意味で
      いわゆる成人健常者の職業世界は似たり寄ったりである。

      負の面でいうと、たいていの分野で、似たような、やっかみ、ねたみ、そねみが
      同僚間に漂っており、大人になっても、学校時代によく見聞きした嫉妬や羨望の
      たぐいがあるものだと、いささかガッカリ、あるいはウンザリするときもあった。

      職業世界に人間関係はつきもので、同僚間で一年中いがみ合った挙句、
      とうとう両者とも胃を痛め双方入院という笑えない例もかつて身近で見たが、
      これなど少々大袈裟だが、理性ではコントロールできない性分の深さを思うのである。

      他方、通常の職業組織とは異なり、障害者就労支援事業に基づく組織には、精神、
      発達、身体、知的、あるいはそれらの複合など、同じ障害種で括られていても
      (とくに自閉症スペクトラムのように)症状の表れかたは千差万別という利用者の
      人たちが集っている。

      日頃、この人たちの言動・行動に、直接・間接に触れていると、マイペース人間と
      冷やかされる私のような者としては、もどかしさと悔しさがこみあげてくる。

      どうしてそこまで、他人の存在や視線が気に懸ってしまうのか
      =哲学者サルトルは、自己を規定するものの一つが「他人の眼差し」、
      また、「他人の存在それは地獄だ」とも記してはいるが=
      あるいは、どうしてそれほどまでに他人の発する言葉や表情に反応してしまうのか、
      「いいのだよ他人の顔なんかカボチャだと思っていて差支えないときも多々あるから」
      とお節介にも教えてあげたくなるが、こんなアドバイスはもちろん端から通用しないし、
      周囲が何と言おうが、気になってどうしようもないというのが、
      そもそも障害なのである。

      当施設の利用者の一人である、Tさんのことを考えていると、小説など物書きが好き
      という点で共通項があるため、個人的にも気に懸る存在だが、いまのところ彼のために、
      何らのアシストやサポートもできていないというのが、
      私の内心を落ち着かなくさせている。

      二十代の彼は、かつて小学生時代に同級の女子から残酷な暴言を受けたが、
      その後トラウマと化したそのときの衝撃につきまとわれ、わずかの心身の不調で
      それがフラッシュバックし、現在の彼を、いたたまれない心境にするという。

      他人(とくに若い男女)恐怖症的なところがあり、そのため外出は、街中の雑踏や混雑が
      激しくなる時間帯の駅構内を敬遠するかたちでしかできなくなっている。
      これが通所のスタイルを限定する主因となっており、また施設内での他の利用者等との
      連携や協働でもマイナス要因となっている。

      「いいのだよ、そんなこと気にしないで」と喉まで出てくるが、逆効果もあり得るので控え、
      彼の趣味の話を主体にした会話につとめている。
      知的にも外面的にも通常の社会生活を営んでいて普通の身の上のはずが、
      過去の一度の心的外傷が、現在の彼の精神状態を縛っていて、青春の躍動を阻んで
      いるのかと思うと、まったく残念至極である。

      一度だけ人生の先輩として、(余計なお世話かと心配しながらも)彼に対して
      少し踏み込んだアドバイスをしたことがある。
      それは詩人・萩原朔太郎の「群衆の中を求めて歩く」という詩を引いての、
      “いいのだよ気にしなくても”の間接的なメッセージとしてである。
      朔太郎はこの詩のなかで、群衆を浪にたとえ、その浪は日陰をつくり、憂鬱や悲しみ、
      愛や無心さえも都会の日陰に消していくと謳っている。
      彼が(私もだが)いつの日か、この萩原朔太郎の詩にあるような、
      心の持ちかたができるときを身に引き寄せることがあるのか。
      前段で性分の深さと書いたが、ヒトという存在の、やるせなさ、せつなさへもまた
      思いがめぐっていくのである。

                                          火護礼造


                                                                                  

      仕事を教える愛を伝える

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        JUGEMテーマ:軽度発達障害児

        対利用者にとって職員の自己満足にならない支援とは、どんな支援を目指していくべきなのか考えてみたい。
        利用者が自立へ向け意識改革や努力を自らが行っていける様な環境設定やサポートの提供とは?

        例えば高齢者の入所施設など、ベッドで1日を過ごすご老人を寝たきりにさせない様にする為に、1日のスケジュールを提案して、
        職員はそのスケジュール通りに日課を進め、入居者のご老人は職員が日課のウォーキングやホールでのレクレーションに出かける様にと
        お誘いしに部屋へ訪れるが、その度に「今日は、寒いし腰も痛いし、身体がしんどいから、今日はやめとくよ」と職員に答えが返ってくる。

        もともと気持ちの優しいその職員は、身体が辛そうな入居者のご老人を観て、「そうだね、今日は特に寒いし、暖かくしておいたほうがいいかもしれないね、
        それじゃあ今日は布団の中でゆっくりテレビでも観ながら身体を休めておきましょうね」と優...しく声をかけ、
        次の日もまた次の日も同じ様に声をかけに部屋を覗きに行くが行くたびにご老人は同じ様に辛そうにベッドで過ごす事を職員に訴えてきました、
         
        翌週になると職員も声を掛けに来るのは1日置きになっていき、そうしているうちに半年が過ぎ、定期健康診断で骨密度検査を受けた結果、
        その時はもう既に骨密度が平均値を著しく低下し骨折の危険性が高まってしまいました。

        入居利用者のご老人も、半年前までは普段の生活で自分でトイレに行ったり、ホールでの食事へ出かけるくらいの事は出来ていたのですが、
        最近では車椅子での移動を好む様になってしまいました。

        私は、何故そうなってしまうのか、その原因を考えてみましたが、なかなか原因を探れませんでした。

        秋のお彼岸に寺の住職に、その訳はいったいどうしてなんだろうかと尋ねてみました。
        住職の即答は私の肝へすっーと落ちていきました。住職は「家族にしか持ち合わせることの出来ない愛がないのだからしょうがないよ、そんなことを赤の他人の介護職員へ求めるほうが間違っているんですよ」
        「そんな事はもともと、家族が最後まで愛を持ってやるべきことです」と嘆いておられました。

        就労支援に置き換えれば、仕事を教える事であったり、仕事の仕方を教える事につながるのではないでしょうか。
        仕事を教えることや、仕事を教えてもらう関係についてはどうでしょうか。
        仕事を覚えてもらいたい気持ちや、この仕事のコツやこの仕事の肝を伝えていく人の気持ちは、伝えていく相手に対しても、
        その仕事に対しても共通するひとつのこころがあるのではないでしょうか。
         
        その仕事を通じる心には愛があるのではないでしょうか。
        この仕事を通じて私も生きている、あなたも生きていかなければならない、だから
        仕事を教えるときにこそ仕事に愛を持ち伝え教えていくのではないでしょうか。

        ここで云う職員の自己満足は、正しい評価のもとスモールステップで進める支援の選択とは異なり、
        この仕事は、この利用者には難しすぎるだろうからもう少し簡単に優しく出来る作業に変更してあげようか?とか、
        この仕事は利用者の障害特性には向かないだろうから、一般就労は無理であろう、この利用者は、やはりB型が適しているだろう。
        と云うように出来ない理由を障がいの所為に置き換え、優しさからハードルを下げ、
        障がいに責任転嫁し利用者に優しく楽に簡単に作業を組立てられるように考えたくなってしまう事ではないでしょうか?

        それは、仕事に対しても愛情を持たない人なのかもしれません、愛のないうわべだけの関係では仕事は出来ないでしょう。
        職員の自己満足それは上辺の優しさなのかもしれません。
         
        福祉行財政と福祉計画についても基本的な考え方は同じではないでしょうか、財源となる収益事業こそが本当に必要なものであり、
        その仕事ではなくお金だけを、ばら撒いても有り難味がなく仏作って魂いれずとなり、一方的であり上から目線ではないでしょうか。
         
        地方やそれぞれの事業所施設へ自力で稼ぐチカラを身につけさせるような計画が望ましく、それこそが魂の通い合う福祉の形ではないでしょうか。

                          遠藤一秀

        座学と教え込み

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          JUGEMテーマ:軽度発達障害児

          障がい者就労支援
          ソーシャルスキルトレーニングを利用者へ支援するとき、職員はどのような方法で支援したらよいのか?
          教えたい事を、どうして教えたらよいのか?
          その気持ちは、資料集めから始まり
          資料作りで満足し...
          当日は資料を配り、講義をしたくなり
          先生になってしまうのではないか?
          まさしく自己満足となっていないだろうか?
          教えたい事をどうしたら伝えられるでしょうか?
          教えるのではなく伝える事が目的です
          伝え方や伝える方法が大切な仕事だから
          資料は構造化された資料が必要となり、
          伝え方は、ワークショップとロールプレイングの二通りで
          すっきりといきましょう。
          あなたのフォルダーから座学や学習と云う項目を削除して
          ワークショップとロールプレイングに変更しましょう。

                 遠藤一秀

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