スポンサーサイト

0
    • 2019.06.21 Friday
    • -
    • -
    • -
    • -
    • by スポンサードリンク

    一定期間更新がないため広告を表示しています


    「精神病棟を捨てたイタリア捨てない日本」を読んで

    0
      JUGEMテーマ:軽度発達障害児

       「精神病棟を捨てたイタリア捨てない日本」を読んで

       著者は元朝日新聞の記者、大熊一夫氏。
       このルポは、アルコール中毒を装って、精神病院に入院したことを
       書いたものであるが、著者は一週間しか耐えられなかった。精神病院の環境が、
      もともとなかった拘禁性の精神病をもたらすもので あり、一週間でこの限界点に
      達した。もしそれ以上入院していたら 本物の精神病患者になっていただろう。
      命からがら救出された。



       1970年を前後して世界的な革命の嵐が吹き荒れる中で、イタリアでも大きな
      社会変革のうねりがあった。トリエステ県で精神保健行政のチーフとなったバザー
      リアが主役となったものである。彼が赴任した時の精神病院は、日本のそれと同じ
      くらい悪い状態で、患者は日常的に拘束されており、拘束衣で縛られて日光浴を
      させれれて居る写真が今でも残っている。鍵と鉄格子の閉鎖病棟で、一旦入れら
       れたら、一生出られないと言われていた。それも今の日本と重なる。バザーリアは
      この状態を変えなければと思い、「自由こそ治療だ」とのスローガンを掲げ、患者の
      自由を大幅に拡大した。患者達は徒党を組み、青い色の木馬を押し立ててトリエス
      テの街中でデモンストレーションを行なった。外に出るのに邪魔になった高い塀も
      率先して破壊した。いかにもヨーロッパ的なやり方で。

       そして、ついに広大な敷地を持つ精神病院を解体してしまった。患者達は街で暮
      らせるようになり、それを支援する為の地域精神医療センターが各地に作られた。
      精神病院での閉鎖的医療が解体され地域精神医療に取って変わられた。
       バザーリアは完全に成功した。患者は地域で尊厳を持って暮らせる人たちである
      ことが証明され、各地に日本で言うグループホーム・ケアホームが作られた。また
      徹底的に地域生活を支える体制が組まれていった。
       バザーリアの先進性の核心は、「病気は治す必要が無い」という思想に立ってい
      ることである。「精神病の者に社会生活は出来ない。完治しなければ社会に出せ
      ない。」との常識を180度ひっくり返し、「病気と付き合いながら地域で生活すれ
      ばいい」と考えたのである。   

       ひるがえって、日本では未だに精神病院のベッドを増やし続け、今も高止まりの
      ままである。在宅生活支援も貧弱なままである。ホームレスの6割以上が精神病
      者であるとのこと。日本は歴史的総括を苦手としている。いまだに総括しない国民
      なのはあらゆる面で出ている。日本の改革において最大の壁は「私立精神病院
      中心主義」である。 この壁を乗り越える未来への指標としてこの著書は格好の
      材料になるだろう。また、精神病=障害者と見ていくと、人の心に巣食う魔性、
       差別の心への挑戦であり、臭い物にはフタをする、差別意識にもフタをしたがる
      国民性の変革が今最も求められていることであろうと思わせる著書であった。

                                      2013.05.19 ながみち


      市場参入へのチケット!

      0
        JUGEMテーマ:軽度発達障害児

         私が思うに、障がい者雇用をした企業では、社会的身分について
        どこまでわかって、理解した上で雇用契約をしているか温度差が
        あると感じています。


        ブログ用2.JPG

        障がい者が市場参入するには、就労先が望むスキルが必要です。
        もちろん、健常者でも同じことで、やはりスキルが必要とされます。
        そのスキルは、引き出してあげれば、「雇ってよかった!」と
        笑顔になるのでしょうが、障がい者のスキルを引き出す努力の
        仕方がわからなかったり、理解に苦しんでしまうと、苦笑いになって・・・
        「この方の、このような特徴があり、どうしたらいいのでしょうか?」と
        そんな連絡をいただくことがある。
        連絡をいただいて、ケース会議を実施して方向性と解決策を練る。


        理想として、連絡を受けないように支援をしなくてはいけないと思う。


        ブログ用1.JPG


        生後から障がいのある利用者、ある日突然障がい者となってしまった
        利用者が、就職することは容易ではないと思います。
        就職したい!と願って毎日訓練して、頑張ってやって・・・
        その結果、
        障がいを理解されて就職すれば、トライアル雇用期間から
        正規雇用への道のり見通しがつくと思われますが、
        では、障がいを「障害」と認識されてしまい、正規雇用への
        見通しが立たなくなってしまったら、お互いに不幸であると思います。


        就労支援する私と、企業と、主役である本人が皆笑顔でいられるように
        スキルを習得して、トライアル雇用から正規雇用へとつながるように
        したいと思います。

                                        『花咲かせ隊』土屋

         


        働く権利の滑走路

        0
          JUGEMテーマ:軽度発達障害児
           NESTは『就労』を目指す利用者さん達の訓練場所です。
          何の為に『就労』を目指すのか・・・
           ・食べて(生きて)いく為
           ・欲しい物を手に入れる(購入する)為
           ・夢に向かって進む為   等等
          その目的は様々です。

          自他共に就労能力を認められる利用者さんもいれば、自他共にそれを信じる事ができ難い利用者さんもいらっしゃいます。
          けれど、『就労』のスタイルは様々です。
          彼らを支援する側がニーズを見極め、持てる力を最大限に伸ばし、可能性を見出し、潜在的な能力を引き出し、就労先をコーディネイトする事ができれば各人の『就労』は、可能なのではないでしょうか?
          『就労』を目指す利用者さんたちの『働く権利』を行使していただく為に、NESTで働く私達スタッフが果たすべき役割は、正にそれではないでしょうか?

          飛行機が離陸する際に、滑走の距離を長くとればとる程、その離陸は安定すると言います。
          NESTが、『就労』を目指す利用者さん達にとって『就労』の為の有効な滑走路の役割を果たすべく日々、支援の在り方を検討(健闘)しております。
                                                   

          人の可能性をどこまでも信じるって!

          0
            JUGEMテーマ:軽度発達障害児


            皆さんこんにちは。
            いつも大変にお世話になっています。ながみちです。

            NESTに入社させていただいて、あっという間に2ヶ月が経ちました。
            その中で、多くの事を学ばせていただき、感謝の気持ちで一杯です。
            毎日、楽しく仕事させていただき、職員そして利用者の皆さんの顔を見るたびに
            元気をいただいております。先日、稲盛和夫さんの「私の履歴書」を読んでいますと、
            「与えられた環境をそれを真正面から受け取って必死で生きていく」との言葉に感動いた
            しました。
            ご存知のように氏は日本航空の再建という5万人の社員とその家族、ひいては日本再建
            ともいうべき失敗の許されない事業に逃げずに挑戦し、それを成し遂げた方です。
            私も、一切の与えられた環境に逃げることなく挑戦する生き方をしたいと考えております。
            まだ諸先輩の方々に教えていただくことが沢山あります。少し?生意気な口をたたく時が
            あるかも知れませんが、気長に見守っていただければ幸いです。

            1.JPG

            さて、話は変わりますが、ゴールデンウイークの初日4月28日に愛知県岡崎市に行って
            きました。
            目的は法蔵寺で、旧東海道筋にある小さなお寺で徳川家康が幼少のころ学問に励んだ
            とのこと。また、近藤勇の首塚がある(日本には実はもう一箇所ある?)ことで有名です。
            帰りにこのお寺のすぐ近くに、以前私が勤めていた会社の岡崎工場で、一度位しか話し
            たことが無いNさんのお宅に寄らせていただきました。突然の訪問にもかかわらず、ご夫
            婦でこころよく迎えていただいて、話も大変に盛り上がりつい長居をしてしまいました。40
            代前半のお若いご夫婦ですが、私達もこのような突然の訪問があっても、おもてなしの心
            でお迎えできるようにしたいなあと思いました。

            ご主人はゴールデンウイーク後は富士工場への単身赴任が決まったとの事で、今まで
            の労をねぎらいながら富士での再会を約束しました。私の現在の仕事の話になり、第二
            の人生は人のため、世のためになる仕事を希望していたが、はからずも希望通りに障がい
            者の就労を支援する仕事に付き、毎日やり涯がありますとの話をしましたところ、実は
            その奥様もまったく同じ仕事をされているとのこと。ビックリしました。奥様曰く、最近就労
            へ向けて利用者さんの可能性を少しでも開いていただきたいと努力する中で、利用者さん
            のお母さんから、それを止めてもらいたいと言われたとのこと。お母さんに、いずれ高齢に
            なられた時に、子供さんが自立できていなければ、どうするおつもりですか?と聞くと「その
            時は市が何とかしてくれるから」と平気な顔をして言うそうです。私も本当に身につまされる
            思いでした。利用者さんにとっては、最高の環境であるべきお母さんが、その成長をあきら
            め、今だけの安穏を願う。難しい問題ではあるけれども、私たちはどこまでも、利用者さん
            の可能性を信じ、自立へ道を勧めていくという姿勢を持ち続ける事が大事であるとの思いを
            強くしながら、突然の訪問をお詫びして岡崎を後にしたのでした。

                                                                                     2013.5.8 nagamichi

             


            calendar
               1234
            567891011
            12131415161718
            19202122232425
            262728293031 
            << May 2013 >>
            PR
            selected entries
            categories
            archives
            recent comment
            recommend
            links
            profile
            search this site.
            others
            mobile
            qrcode
            powered
            無料ブログ作成サービス JUGEM